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【マレーシア&ロジャック(Rojak)】トラディッショナルフード〜異文化交流から学ぶ『多様性』というこれから意識すべき大切な考え方〜

水野ちか
水野ちか
こんにちは、水野ちかです。子供たちきっかけで、マレーシア🇲🇾のローカルママ友ができたことがすごく嬉しい。まさか国を超えてこんな風に親しくなれるんだと初めての経験で…。

ロジャックっていう言葉を聞いたことがありますか?もしかしたら知っている方も多いかも。
私は、マレーシアのローカル友達と話していて「ロジャック」という単語が会話に出てきたのがきっかけで知りました。

ロジャックって何?

(写真:Wikipediaより)

昔からマレーシアやシンガポールでよく食べられているローカル料理があって、その名前をロジャックと呼ぶそう。

好きな素材を好きな感じで切ってロジャックという甘スッパ辛いソースをかけて食べる、いろんなものが混ざった、いわばサラダ🥗のような。いや、ちょっと正直サラダなのかどうかも分からないです、笑😅

そんな一風変わったともいえるローカルフードがあります。

それぞれの独特な持ち味を持つ異なる素材を色々混ぜ合わせることで生まれる、絶妙な味わいのお料理です。

そもそもマレー語で「 Rojak 」は「色々なものを混ぜる」「まぜこぜ・ごった混ぜ」みたいな意味があるそうで、色々と混ざったこの料理のことをロジャックと呼ぶみたいです。

そしてマレーシアらしく、各民族、各家庭、各地でいろんな味や食材のロジャックがあるんだそうです。

「私たちはロジャック」

さて、話を戻します。
仲良くしてくれているマレーシアローカル友達と過ごしていて気がついたことがあるのですが、彼女と会話をしているとたまに「私はロジャック」「私たちはロジャック」みたいな表現が出てきます。

これは直訳すると「私たちは混ぜこぜ、なんでもありだよ」という解釈になるのかなぁと思うんですけど、でもそうじゃなくて、

このロジャックこそが、マレーシアで生まれ育った彼女たちの「多様性の能力」なんだろうと思ったんです。

多様性(ダイバーシティ)

多様性を調べてみると、

多様性(たようせい、英: diversity)とは、ある集団の中に異なる特徴•特性を持つ人がともに存在し、異なる民族・様々な社会・それぞれの人々が持つ多種多様なバックグラウンドのことである。また、個人の違いを認め合い、尊重し合うことも指し、一言で定義することが難しい言葉でもある。

とありました。

彼女たちと過ごしていてどういうシーンで「We are ロジャック」というフレーズが出てくるかというと、例えばそれが言語だった場合。

それぞれ違う言語を話す人が数人集まっていたら、基本的には英語で会話をするんですけど、その中にマンダリンを話す方が数人いたとしたら無意識的なところで途中から言語がマンダリンに変わっていることがあって。
さっきまで英語で話していたのに、途中から急にマンダリンに変わっていて会話に突然入れないことがあったりして、私が「途中から分からなかった」というと、「あっ、ごめんごめん」みたいに言語もミックスになっていて。

一緒にランチをしていて、彼女が「甘いデザートを食べながら辛い食事を食べる」みたいな食べ方をしていることがあって、私は「え?まって。デザートは食後じゃないの?」と聞いたら「うん、一緒に食べるのが好き」と。
そういえば彼女の周りのお友達も同じようにチェンドル(丼ぶりサイズのかき氷)とヌードルを一緒に食べている><!

「なんでもありあり!お腹に入ってしまえば同じだよね」「私たちってロジャックよね」と笑ってて。

これらはごくごく一例にすぎなくて、
彼女たちには自然と様々なシーンでロジャック的要素、言い換えると「多様性が自然なことという状態」が染みついているなぁと感じます。

彼女たちはそんな感じで笑い半分に「私たちはロジャック」と話すことがあるけれど、「ロジャック」って、すごいことなんじゃないかと思うんです。

ロジャック能力

ロジャック。
一見するとその言葉の意味(まぜこぜ)から、「なんでもあり」みたいな捉え方もされがちなのかもしれません。でも、

  • 多様性に慣れている
  • 状況に合わせて変化できる
  • 相手を受け入れられる
  • 人は違うのが当たり前
  • 自分の意見を持ちつつも相手の意見も尊重する

「こうだったら変」とか「こうじゃないとダメ」みたいな認識じゃなくて、
そもそも自分たちが「ロジャック」で、まぜこぜなんだから。

みたいな。

これって実はすごい能力なんじゃないかなぁと。そしてこれからを生きる上ですごく見習いたいなぁと。

ロジャックってすごい!

ロジャック的意識が子供のころから自然と培われていて、それが普通の環境で育ったからこそ「違い」を受け入れられるのが普通で、そもそも違いとも思わないのかもなぁと。

日本で育った私からすると、人と同じことをするのがよしとされていたり、むしろ同じでないとちょっと悪目立ちするような、そんな感覚だったのが幼少期。

ここでは、言語が違う、文化が違う、育ったバックグラウンドが違う、それが当たり前。

だから外国から来ている私もすんなり受け入れてくれて
一緒に過ごしながらお互いの違いをすり合わせながら進化しあえる協調しあえる関係を築いていける。

これなんか本当すごいな。

そう思わずにはいられないし、本人たちは意識してはいないと思うのですが、私にとっては彼女のいう「ロジャック」がどんなにすごいことか改めて感じされられる日々なのです。

多様性を感じながら生活できることに感謝

英語でのコミュニケーションが完璧ではない私でも、そんなの関係なく歩み寄ってくれることとか、日本に興味を持ってくれることとかもすごく嬉しいし、できるだけスムーズに会話したり、説明したりできるよう努力したいな、と思わせもらえます。

マレーシアに来て、現地のお友達ができて、子供達も一緒に遊べて一緒に学べて、同じ時間を過ごすことができていることがありがたいなぁと心から思っています。

教育移住は子供たちだけではなくて親も、先生や子供の親ともコミュニケーションをとることが多々あるので、私としてもすごく鍛えられるというか、貴重な経験をさせてもらっているなぁと日々感謝して過ごしているところです。

また感じこととか、気がついたことがあったらシェアしたいなぁと思います。

水野ちか
水野ちか
最後まで読んでくださってありがとうございます!